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ザックスくん

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ダブルコール 2

大粒の宝石が二つぶら下がった時計は、オヤツの時間を見るためのものではなかったはずなのに、今では他の使い道がない。
退屈だと思っていても、時間が経つものだと、キラはノロノロと顔をあげてドアが開くのを待った。
「キラ様、御休憩の時間です」
「……はい」
喉から声が出しにくいのは、ずっと喋っていないせいだろうか。
入ってきた執事は、掠れた返事をするキラをじっと見つめていたが、振り返って紅茶とお菓子を並べるようにメイドに伝えた。
「いつものように、窓際のテーブルに」
短い指示で、中庭を望むテーブルにメイドはお茶を綺麗にセットした。
お皿には、夢と同じ、ピカピカ輝く苺タルト。
夢は予知夢だったのだという感動も、これだけ続くともうない。
切なくなるのは、頬に触れた指の感触を思い出すからだと気付いてしまったからだ。
――夢なのに。
キラの夢なのに、夢はキラのものではないのだ。
丸い苺タルトを、メイドはその場で切り分けてプレートに盛っていた。
キレイな盛り付けは、まるで魔法のようで、不恰好なツリーもあんな風に出来ないものかとキラは思う。
――ケーキみたいなツリーだったら、みんな喜ぶだろうか?
少し前まで、お茶は、ご主人のどちらかと一緒の大好きな時間だった。
けれど、もうずっと昔のことのよう。
「あとで膝掛けを、お持ちするように」
日が暮れると雪が降るのだと言う執事の声を、キラは他人事のように聞きながら、中庭の向こう側の、例の動かないカーテンを、そっと振り返った。
執事、アデスが、いつも窓際を指定してくれるのは、キラが向かい側のアレックスの部屋を気にしているのを知っているからだろう。
けれど、あの部屋のカーテンが動いたためしはない。
まだ忙しいのだろう。
あの部屋の主も、今頃ひとりでオヤツを食べているのだろうか。
苺タルトが、ここにワンホールそのままあると言う事は、食べていないのかもしれない。
コーヒーくらいは飲むのかもしれない。
忙しくなると、何杯も飲んで胃を壊しているのを知っている。
――ひとりでだいじょうぶなのかな……。でもキラが来るまでは、きっと一人だったのだろうし。
「だって」
――イラナイって言われちゃったし。
思い出すと、ぼわっと目の前が霞んでしまって困ってしまう。
だったら、誰からも求められないキラがここにいる理由は何だろうか?
考えるまでもなく、キラ自身が分かっている。
キラがここに居たがったから――ただそれだけ。
だから置いて貰っているのだ。
ここにいて欲しいと言って貰えていたし、シンもここに居るようにいってくれた。
――どうしたら、一緒にいられるのだろう?
猫耳を押さえながら中庭の向こう側の窓を、ぼーっと見つめていると、また景色が霞んでいって泣きそうになってしまう。
「どうかなさいましたか?」
突然、背後から声をかけられて、慌ててキラは首を横に振った。
「いえ、なんでもないです」
笑おうとしたが、上手く出来なくなっている。
無理に唇をあげようと自分の頬を押さえるキラを、執事は黙って見つめていたが、その姿は彼らしくもなく所在なさげではなかっただろうか?
「お茶が冷めないうちに、こちらへどうぞ」
流れる動作で椅子を勧められ、のろのろとキラはテーブルについた。
白いカップにお茶を注がれ、いい香りに包まれる。
ここでお茶をするようになってから、オヤツはキラの好きなものばかりを出してもらっている気がする。
食事も苦手な人参やピーマンや豆が、さりげなく抜いてあるのだが、きっとそれも偶然ではないのだろう。
感情の起伏が少なく、初めは、まるで銅像みたいで怖かったが、執事は良い人でキラのために心を砕いてくれている。
きっとそれは仕事だからだろうと分かっていても、有り難いことだ。
――でも執事さんは、一緒にお茶してくれないし。
キラはギュッと強く目を瞑って、目の中に溜まった水を弾き飛ばした。
すると視界はクリアになり、苺タルトの赤がやけに眩しい。
紅茶はとても良い香りがした。
期待をこめてチラリと見上げても、壮年の辣腕執事の表情は変わらない。
寡黙で仕事熱心な彼は、あまり笑う事もないのだろう。
いつも渋い顔の執事が笑っているところを、キラは見たことがない。
ザラ家を守る忠誠な執事の目からは、猫耳のキラが居ること自体、悩みの種だと思われていることも知っていたから、キラ自身も邪魔にならないように気をつけてきたが、今はもうそんな力もなく、ツリーの飾り付けも進んでいない。
それなのに、一方的に餌だけもらっているようで心苦しい。
この執事も、以前はシンのいるザフトという軍で仕事をしていて、とても優秀だったと聞いた事があるが、実は軍が何だか誰もキラに誰も教えてくれたことはないのだ。
頭の上で交わされる会話はいつも、キラを除外している。
だがそれでも、ザフト軍はアスランやシンのように、運動神経の良い自信家が集まるところだと言う事は察しがついた。
――かけっこでもするのかな。
シンとアスランと、どっちが早いだろう?
考えるまでもなく、シンだとキラは思う。
猫耳の頃、シンが路地を風のように駆け抜けていたのを見た事があるのだ。
あんなふうに、自分もなれるだろうか?と、キラは考える。
少しだけ、なれそうな気がするのは、根拠のないことだが、この執事よりは逃げ足が速いような気がするからだ。
この物静かな執事からなら、隙を突けば逃げ出せるのではないかと何度も思った。
ご主人たちも、あまり走ったところを見た事がないので、今のキラならかけっこだけなら勝てそうな気がした。
けれど逃げるなら、せめてシンと話し合ってからにしたい。
せっかく再会できたのだ。
生きていくためには、住む場所があった方が、何倍も危険が少ない。
そんな場所を確保するのは鉄則だと、猫耳の頃のシンは口癖のように言っていた。
ずっとシンに背負われ、手を引かれて逃げ回り、追い詰められて逃げることすら諦めたことのあるキラは、安易に先の見えた自殺行為に踏み切ることが出来ない。
それは、無鉄砲と言うものだ。
そんなことをすれば、苦労して助けてくれたご主人達に申し訳ない。
出来るだけ誰の事もガッカリさせたくはない。
けれど、執事がツリーの飾り付けの仕事をくれなかったら、もっとここから出ることを思い詰めただろうし、実際に出ていたかも知れない。
やっと再会したシンが、ここに帰って来る以上、まだ解雇されるわけにはいかない。
――頑張らなければ。
早くツリーを仕上げて、役に立つところを見せなければ。
――ツリーを全部仕上げてから、シンが帰ってくるのを待ってから相談しよう。
その考えは、最善のように思えるのに、何故だか奮い立たない。
思いつきが良い考えのような気がしないのは、ここに再びシンが帰って来てくれるのかすら定かではない気がしてたまらなくなるから。
ここに戻る必要がないのは、シンだからだ。
シンのように猫耳を落とせば、狙われる事もなくなる筈だと思いもするが、大切に撫でてくれるアスランやアレックスの手を猫の耳が憶えている。
シンも懐かしそうに撫でてくれる。
思い出して、キラはプルプルと首を横に振った。
――考えるのは、ツリーのあと。食べたあと!
決意してデザートスプーンを握ると、お皿から苺とクリームの甘い香りがして、やはり泣きそうになってしまった。
パンに挟まった苺ジャム以外の苺など、きっとここへ来るまで食べた事などなかった。
それでも、ここに来るまでは、苺ジャムやクリームのパンは、キラにとって世界で一番美味しい食べ物だった。
ここでは、毎日、キレイで美味しいゴハンやお菓子を貰える。
林檎は、この屋敷に連れて来られた日にベッドで食べさせてもらって大好きになった。
赤い木の実は、みんな好き。
クリームも大好き。
悲しい事はなにもない。
けれどスプーンを咥えると、時折ポロリと頬を伝う水は、なんだろうか。
胸がヒヤリと冷たくて苦しいのは、どうしてだろう。
初めに拾ってくれたシンは、なんでも半分に分けてくれた。
日が暮れると必ず帰って来てくれた。
パンもクラッカーも毛布も半分こ。
シンが時々、ポケットから出してくれるマーブルチョコレートは色分けして絵を作って食べた。
ここのデザートには及びもしないが、それでたまらなく幸せだったのだ。
けれど、ここには何でもある。
安全も美味しいものも清潔なシーツも。
とくに双子のご主人は、何でもキラにくれる。
けれど、誰も一緒にいてくれない。
――誰か呼んでくれないかな?
スプーンを置いて、何度も隣の屋敷のカーテンの閉じた窓を振り返ってしまう。
この一週間、居残り組みのご主人、アレックスの姿を全く見ていない。
10日前は、まだ中庭のむこうの窓越しに、時折姿が見えていた。
敏腕執事のアデスなら知っているのではないかと、こっそり顔をあげてみたが、視線を合わされ「何か?」と問われて慌てた。
「あの……ご主人、じゃなくて」
「アレックス様でしたら、今日が山場とのことです」
間髪入れずに返る返事に身体が竦んだ。
「あ……はい」
言われていることは、今が大事なときなのだからオマエは邪魔するなと言う事なのだと理解出来るが、執事の重々しい口調にキラは萎縮する。
分かっている事は居残り組みのアレックス様が、昼夜を問わず、とても忙しいということ。
これ以上ない答えを貰ったのに、初めから分かっているその答えは、さらにキラを落ち込ませる。
理由は理解出来るのに、それはすべてから拒絶されているのと同じ。
多分それは、キラを取り巻く現状のすべてに思えるのだ。
毎日同じ質問を繰り返しているせいか、アデスにどう思われているのかも心配になる。
また聞いてはいけない事を聞いてしまった気がして、キラは首を折り、目を伏せた。
アデスが激務続きのアレックスの身体を実は心配していることを、キラは知っている。
アデスの方がずっと長くザラ家に仕えていて、ザラ家のために心血を注いできたのだ。
猫耳のキラが拾われて来たときも、ハッキリと口にはしなかったが、ザラ家に害なす厄介物だと思われていたのは知っていた。
けれど結局、キラの世話を焼いてくれている。
キラの知る限り影ではアスラン贔屓だった彼だが、今は二人を分け隔てることなく尽くしている。
どういう取り決めがあったのか、去年のクリスマスの事件のあと、ザラ家の執事、アデスはアレックスのことをアスラン様と呼ばなくなった。
それまでザラ家には、アスラン・ザラが二人いたのだ。
アレックスとアスランはザラ家の優秀な双子――ふたりで一人のアスラン・ザラ。
それは二人の父、パトリック・ザラが、決めた事だと言う。
世間はアレックスを知らないし、アスランと話した数分後にアレックスに会っても、別人だとは思わなかっただろう。
瓜二つで、シンを含め一般人には全く区別が付かないのだ。
長い間アレックスは屋敷から出ない生活を続け、ザラ家を内側から支えてきたのだと言う。
アレックスは屋敷内でのみアスランを名のり、この屋敷内に限り、軍人として戻ってきたアスランはアスランではなくなるという複雑な状態は、兄弟の形も絆も壊してしまっていた。
だから屋敷でのアスランは生彩が無く、極力目立たないようにしていたのを、キラも見ている。
だから、アスランが戻ると、なるべくアスランのそばに居た。
だが、アスランが屋敷に戻ると、以前はアレックスが苛立っていた――そんな風にキラは回想する。
きっと、ザラ家と言う自分の居場所(テリトリー)が侵されるのを牽制していたのだろう。
キラと逃げていた頃のシンは、縄張りが侵食されていくとき、いつも気が立っていた。
それに似ていた。
キラを拾って屋敷につれて来てくれたのがアスラン。
間違って隣の棟に行ったキラを、当たり前のように置いてくれたアレックス。
ザラ家を、それぞれ内と外とで守る、それが『二人のアスラン・ザラ』だったのだが、今は、その二人が交代で入れ替わるようになってしまったため、当初執事アデスは訳が分からずに無言になる事が多かった。
一般人に二人を見分けるのは到底無理だとシンは言う。
当然、敏腕執事も、当初は入れ替わった二人に全く気付くこともなかったのだ。
だが分からないなりに、この執事がアレックスをアスラン様と呼ばなくなったこともキラは知っている。
彼なりに区別しているのだ。
アスランとアレックスの執務室は別なので、どちらの棟にいるかで判断している可能性が高いが、現在、執事アデスが二人を間違う事は全くない。
二人の区別が付くキラの判定では、完璧と言っていい。
二人の見分けをつけるという難題を、彼なりにクリアしたということだ。
それに反して、キラには高いハードルが課されている。
先日、アスランが軍に出かける前に『今後、俺達の名前は呼び捨てにするように』『ご主人という呼び方で誤魔化すことのないように』と言い含められてしまったのだ。
命の恩人で、自分よりも大人なご主人たちの名前を呼び捨てにする――それは、なまじ区別がつくだけに、キラにとっては、とてつもなく難しいことだった。
分からないなら、ご主人で誤魔化す事も出来ただろう。
でも、区別が付くキラにそれは問題ではないのだ。
シンもキラの命の恩人ではあるが、これほど呼び捨てる事に躊躇したことはなかった。
それは、同じ猫耳同士だったからかもしれない。
『呼び捨てに』と言うだけ言って仕事に行ってしまったアスランのことは後回しでいいが、留守番のアレックスには許してもらえず、キラは何度も『ご主人』と呼んで窘められ、拗ねられ、とうとう機嫌を損ねてしまったのだ。
両方の区別がつくくせに『ご主人呼び』を止めないことに、とうとうアレックスは不機嫌になってしまったのだ。
どうしていいか悩んでいるうちに、仕事が忙しくなったアレックスから排除されて、キラは接点がなくなってしまった。
取り成して貰おうにも、他に相談できる人も誰もいない。
『寒いし、しばらくゆっくりしていい。もう朝もここへ来なくていいからね』
ニッコリと微笑まれて、優しく拒まれた。
お茶のお運びも、執事アデスを通してさし止められた。
『アレックス様のご命令です』と言われれば、キラは何も言えない。
それでも、初めは無理やり執務室に忍び込んだが無駄だった。
『キラにも冬休みが必要だろう? 部屋でゲームでもして遊ぶといい。しばらく一人にするけど、ごめんね』
そんな優しい言葉で頭を撫でられ、キラの仕事は何もなくなってしまったのだった。
アスランから貰った、毎朝、起こしに行く仕事はアレックスによって打ち切られてしまい、キラは失業してしまった。
一人ぼっちで、ご主人たちもシンもいないのに、一体、他に誰を起こせばいいと言うのだろう?
そして、屋敷のドアが厚く重厚だったことを、そのとき初めて知ったのだ。
締め出しを食らって途方に暮れていたキラに、見かねたアデスがツリーの飾り付けという仕事をくれた。
だが、それは結局、アレックスの執務室とは反対の棟に押し込むための理由だったのかもしれない。
執務室のある棟は本当に人の出入りが多く、あわただしく殺伐としていた。
早い話が、猫耳がザラ家にいることを、外部の者に知られてはならないということなのだろうと、キラは目を擦った。
臭いものには蓋を――。
世情に疎いキラでさえ、そういう結論しか出せない。
そこに悪意など微塵もなく厄介な子供の扱いは、そういうものだ。
おとなしくしていないと、疎まれる。
一番いい方法を考えて貰っているのだと頭では分かってはいる。
けれど、その方法はキラの気持ちで理解するには難しかった。
些細な事で、身体が勝手にショックを受けて冷たくなって行く。
キラのいる方の棟には、現在宙域に出て不在のアスランの部屋があるが、本人がいなくては意味がないのだ。
しょんぼり窓の外をみれば、うっすらと薄日はさしてはいるものの、広い中庭はいっそう寒々しい。
キラの世界は狭くて、この広い屋敷の中も全部は知らない。
人の出入りの多い場所には、出ないように言われている。
自分に許されたテリトリーは何処だろうか?
キラは、それを見つけられない。
ずっと誰とも話さずにいると、世界中から孤立して、ひとりぼっちになってしまった気がしてくる。
誰も帰らないし、みんな忙しいまま。
トリィですら、毎日どこかへ飛んで行って、遅くまで帰って来なくなってしまった。
シュンと肩を落としていると、静かに紅茶のおかわりが注がれた。
「ありがとうございます」
笑ったつもりだが、頬が固いのが自分で分かる。
そんなキラを見かねたのだろう。
アデスは静かに言った。
「実は、キラさまがお淋しくなさっておられる旨、アレックス様にお伝えはしております。どうか、もう少しだけ我慢なさってくださいませ」
厳格な彼が、こんな事を話してくれるのは、とても珍しい事で、キラはリアクションが取れずにキョトンと大きな目を見開いた。
「え?」
「差し出がましい事だとは思いましたが、必要だと思いましたので手配させました」
いつもの抑揚のない声のあとに、ワザとらしい咳払いが続いた。
執事なりに、気を使ってくれているのだと、キラは胸をおさえた。
「ありがとうございます。でも大丈夫、淋しくなんかないです。平気です」
恥ずかしくて強がったが、上手く笑えない。
そんなキラから目を逸らした執事は、目を逸らすようにポットをワゴンに戻した。




つづくのであった

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