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ザックスくん

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ダブルコール 5

出来る事なら首を横に振って、大声で泣いて駄々をこねてしまいたい。
だがそれをしたら、ここへ置いて貰えない気がして出来ない。
そのとき、キラの肩に舞い降りたトリィが鳴いた。
それは、駄々をこねていいと言っているようにも、我慢しろとも聴こえたが、きっとトリィにもお手上げなのだろう。
ここでトリィと一緒に待っている――それが正解のはず。
だが、本当の正解を出したのは、げんなりした様子のアデスだった。
「僭越ですが――さっさと片付けて来る、で済むわけがありませんので。一旦、アレックス様にはお休みいただきます」
「いや、いいよ。すぐ出来る」
穏やかな答えにも、やり手の敏腕執事のアデスは動かない。
「いいえ。アレックス様は明け方の一時間だけしか仮眠をとられておられません、それも今日で十日目。お身体は、そろそろ限界を越えておられるはずです」
「もう少しくらい、大丈夫だよ」
苦笑するアレックスがアデスの抱える資料へ手を伸ばそうとしたが、執事は無表情のまま、その厚いファイルを譲らない。
「大丈夫かどうかなどと――キラ様の部屋へ赴いて、毎朝、貴方を起こして差し上げていたわたくしに仰られるのですか?」
アレックスの身体が、慌てたようにガクンと傾いだ。
――部屋に赴いて?
察しの悪いキラにもかすかに引っかかった。
コキンと首を傾げて後ろのアデスを振り返ろうとしたキラの頭をグイと両手で押さえながら、アレックスの声がひっくり返った。
「ちょっとそれは」
「ええ、ええ。それはも何も、その仮眠の貴重な時間を使ってキラ様のお召し上がりたいオヤツを聞き出しておられるのですから、実質、アレックス様の睡眠時間は一時間には満たないはずです」
執事の言葉に、ピクンとキラは顔をあげた。
一時間も眠ってないというのに驚きはしたが、それ以上に反応せずにはいられなかった。
「……キラの部屋でオヤツって」
そんな話は聞いていないし、全く気付かなかった事だ。
――部屋にいたの? どうして? なんで?
まさか毎朝見ていたのは夢ではなかったのだろうかと問いたくて無理やり見上げたが、言葉に出来なくて黙りこむ。
それでも大きな菫色の瞳で見つめられたアレックスは、明らかに動揺していた。
間近で、そんな動揺が見て取れると、不安になる。
「いや、だから……」
口ごもり、バツが悪そうに目を逸らされて、キラは唇を噛んでいた。
自分だけが知らないことや、出来ない事が多すぎて、それがキラを傷つける。
だが、現実的に本当に困っていたのは、アレックスだろう。
しゅんと落ちこむキラの前で、らしくもなく慌てるアレックスをチラリと見た執事が、嫌そうにこぼした。
「アレックス様、これ以上キラ様を困らせたり、苛めたりなさらないようにお願いします」
「いや、そんなつもりなんか全くないけど。あの、ごめんね、キラ」
アレックスが、どこか痛むように片眉を顰めた。
だが、キラは何故謝られるのか分からない。
垂れた猫耳を撫でられても、自分だけ仲間はずれなのだといじけてしまう。
「そんな顔しないで。俺はキラを苛めたりなんかしないよ? もう二度と酷い事もしない」
言いながら、アレックスは今度は腰を折った。
そして、身じろぐキラの頭に額をつけてアレックスは誓うように囁いた。
「キラのことが大好きだよ――ずっとこうして傍にいたい」
とろけそうに甘い言葉の応酬は、第三者が赤面してしまうほど真摯だったが、ままごとのようでもあった。
ただそこは、アレックスにとっての幸せな世界が展開していた。
さすがに疲弊して眼光に力はないが、その効果すら利用して可愛いがっている子供を泣かせる、そのそつのなさ。
ナデナデと亜麻色の細い髪に指をからめる表情は、夢をみているようで、執務中の彼のサイボーグのような無表情と容赦のなさを知る側近が見たら、今まで耐えてきた彼らでさえ書類を涙で濡らしたかもしれない。
大きな取り引きをするためには、非情になることも大切で、そうでなければ組織は成り立たない。
それを完璧にやり遂げるアレックスの手腕には感服し、賞賛を送るものではあるのだが、自分を遠ざけた主人を心配しながら、小さな背中を丸めてツリーの飾りをつけていた猫耳を毎日見て来た執事は、本人の意図せぬうちに意趣返しを断行していた。
それは、アレックスの意図も知らずに泣きぬれる小さな背中に、とてつもない庇護欲と、その待遇に対する腹立たしさを覚えたからだ。
わざとらしく溜息をついた執事は容赦なかった。
「確か――近くで眠りこけられると、つられて一緒に眠っておしまいになられるから――でしたか? お二人共仰っておられたのですが、今回は切実でしたようですね。激務でございましたから仕方もありませんが」
揶揄するよりも、むしろ困ったようにハンカチで額を拭い、そして執事はわざとらしい溜息をついたのだ。
やけに所作が重々しい。
「なんというか、今回アレックス様には珍しく、自信のないことを仰られて無理やりキラさまを遠ざけられたくせに、実は、ご自分だけキラ様の寝込みに忍びこんでチャージなさっておられて。そうやって何も知らないキラ様だけを淋しがらせる所業は、なかなかの策士であると唸ってしまいますな。初めに言いつけられたときは、凡人の私どもにはアレックス様の真意の分からず、ご命令のままにキラ様のベッドに突っ伏しておられるアレックス様を、お迎えさせておりましたが、それが今日の日の、この瞬間のためだったと、ようやく今、合点がいきました」
にこやかでありながら、とてもあからさまで辛辣な執事の言い様に、アレックスは頭痛が痛むように額を押さえて呻いたが、キラはまだ事態を把握していなかった。
「あの……?」
――チャージってなに?
訊きたくてそっと見上げても、アレックスは視線を泳がせて取りあってくれない。
キラの身体はアレックスの腕で固定されていて動けないのだ。
だから諦めて背後の執事を無理やりに振り返った。
すると、あまりににこやかにしている執事と目が合い、恐ろしくて、さっと顔を戻した。
執事の視線はキラと交わらない。
結局キラには、何が何だか分からない。
キラの頭の上の苦笑いを含んだアレックスの声は、珍しくしどろもどろだ。
「そういえば、何も知らずに淋しがっておられるキラ様のご様子の報告を申し上げるだけでも楽しそうでしたのに、こうして、やっとお会いになられていかがでしたか? さぞ連日の疲れが吹っ飛んだことでしょう」
「いや、そんなつもりじゃ……ないんだけどね」
「そうですか。無意識になさるとは、さらに素晴らしい」
ジリジリと圧されて、アレックスは困ったよう黙りこんだが、笑わない執事は、ますます楽しそうに愛想がいい。
後ずさりながら、思わずキラは背中に汗をかいていた。
こんなにこやかな執事は見た事がない。
「――お仕事柄でしょうか? まだ御若いのにアレックス様は狡猾な駆け引きをご存知ですね。ただ――差し出がましいようですがキラ様相手に、そんな高等技術は残酷なような気がしてなりませんが」
困った顔を繕ってはいるが、歌い出しそうなほど上機嫌な執事が怖くて、とうとうキラはアレックスの後ろに隠れた。
――執事さん、目が笑ってないっ!
怯えてアレックスの背中のシャツを掴むキラをチラリと見て、執事は少しだけ唇の端をあげた。
「ああ。本当にアレックス様は極上の餌を美味しく召し上がる方法を、よーくご存知ですね。アスラン様では、わたしがご協力したとしても、こうはいきますまい」
「まさか」
アレックスの顔には、もう止めてと書いてあった。
だが、執事には見えないのかもしれない。
「ここにいらっしゃらないから申し上げますが、アスラン様は少々不器用なところがございますし……まあ、ほんの少々で分からないくらいですが」
「あの、本当に悪かったから……その辺にしてくれ。キラが怖がっている」
「ご冗談を。キラ様を楽しそうに苛めていらっしゃったのはアレックス様ではないですか。わたくしとキラ様は大変仲良くさせて頂いておりましたよ」
そうでしたよね? と、いきなり問われて、キラは息を止めたまま、コメカミを押さえるアレックス後ろでコクコクと頷いた。
それを見て、アデスは満足そうに頷いた。
「ではアレックス様。今回のプロジェクトは、あまりに詰め込みすぎでございました。ですが、パーティの方は同じような調子で進められては困ります。アスラン様が戻られたらアスラン様との調整もあるのですよ。独占なさいたいのは分かりますが、あまり一人で突っ走られないでくださいませ――それから」
「分かった――とりあえず、おとなしく仮眠をとるから、これ以上はやめてくれ。本気で頭痛がしてきた」
クドクドと続きそうな執事の説教を遮って、アレックスは、げんなりと溜息をついた。
もう迷子のように見上げるキラを見ない。
――行ってしまう。
仕方ないと分かっているから、キラには止められない。
役立たずは、よくよく分かっていた。
しょんぼりと呟くとポツンと涙が落ちて、キラは慌てて後ろを向いた。
そんなキラの頭を名残惜しそうに撫でて、アレックスはドアの向こうへと消えてしまった。
もう行ってしまったのだ。
振り向いたキラの見たものは、厚いドア。
完全にドアの閉じる小さな音がして、ほどなく執事は感嘆したように呟いた。
「本当に……キラ様の人参効果は、さすがとしか申しようがありませんね」
「……人参?」
それは確か、馬の餌だっただろうか?
呆然とするキラなど置いてけぼりで、先ほどまでしかめっ面だった執事は、やけに楽しそう。
「本当に素晴らしい! きっとあの調子では、さっと目を通して八割がた覚えてから眠られると思いますよ」
こうしてはいられないと、執事はポケットから時計を取り出し、そして控えていたメイドに軽い食事と入浴の用意を命じた。
今から就寝するアレックスの対応に追われるのだろう。
どうせ自分に出来る事はないのだから、ツリーの飾りをつけなければと思うのだが、キラの身体は上手く動かない。
涙を拭く事も忘れて、忙しそうに指示を出し始めた執事を見上げていると、唐突に必殺仕事人と化した執事の視線がキラに落ちた。
何をしているのだとでも言いたげに厳しい。
――サボってるって叱られるのかも。
最近は忘れていたが、元々キラは執事から叱られてばかりだったのだ。
クスンと鼻をすすり、慌てて先ほどアレックスがテーブルに置いたツリーのオーナメントを拾いあげようとしたが、涙を拭ったときに濡れた手が震えてしまう。
「キラ様、これを」
そんなキラの前に、綺麗にプレスされたハンカチが差し出された。
涙を拭えと言われているのだと分かったので、お礼を言いたかったのだが、声が出せないままキラは黙って受け取った。
テーブルのお茶はもう冷めていて、苺タルトも少し食べただけだった。
「大変お疲れのところ申し訳ありませんが、折り入ってキラ様にお願いがございます」
後ろから急に話しかけられてキラは飛び上がるほど吃驚した。
叱られるかと思ったのだ。
だが声は神妙で、キラは固まったままハンカチの間から執事を振り向いた。
「これはキラ様にしかお願いできない事なのですが」
重々しい執事の前置きに、いちいち緊張しながら、キラはコクリと息を飲んだ。
「後ほどアレックス様に、お茶のお運びをお願いしたいのです。お願いして良ろしいでしょうか?」
執事は唇の端を少しあげていた。
――怒ってない。
視線を合わせて貰えたのは、初めてだったかもしれない。
「は、はい」
よく分からないまま返事をすると、執事は腰を折ってキラの肩に触れた。
「お身体が冷えていますね。それにこんなに力任せに擦られては、目が腫れてしまいますよ。ついでですしシャワーを浴びて頂いたほうがよろしいでしょうね」
ゴシゴシとハンカチで顔を拭っている手を、やんわりと押さえるように握られて、それはそのままメイドへと渡された。
「キラ様をバスルームへ。お着替えは――そうですね。先日お揃えしたものを」
淡々とした言葉とは裏腹な慌しい展開に、キラは後ずさろうとしたが、もう腕をとられていて首を振る事しか出来ない。
バスルームは、あまり得意ではないし、メイドに連れて行かれるのも初めてだった。
「十五分以内に準備が終え、お茶の用意といっしょに大至急私のところまで」
入り口のドアを開かれて、有無を言わせず執事に見送られる。
「キラ様、頑張りましょう。あまり時間がありません」
メイドに促されて観念する。
だが、キラより先に飛び出したのは、翼を広げたロボット鳥のトリィだった。


あと1回分かな

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